私は逃げた。あらゆるものから、逃げ出した。

   変化を受け入れるのが、恐くて。

   どうしようもない感情から、自分から、そして彼から。













     C&F













   呆然と立ち尽くすの前に駆け寄った三上は、とても複雑な表情をしていた。

   怒りともみえる。でもとても安心したようにもみえる。

   それでいて・・・淋しそう、な。



   

   「亮・・・兄?っておい、

   
 


   柾輝は疑問を口にするが、は答えられなかった。

   その間に三上はに詰め寄って、その両肩を掴んだ。



   「お前、どこ行ってたんだよ!」

   「学校」

   「んなこときいてねぇ!なんで勝手に出てってんだよ」

   「・・・あんたにいわれたく、ない」
   


   先に私を手放したのは、亮兄だ。

   両親が離婚して母親に育てられ、仕事でなかなか逢うこともないため

   二人で暮らしている形でいた生活。

   双子の亮とはとても仲がよくて、淋しいのも嬉しいのもいつも一緒。

   理解できるのも互いだけ。すべてだった。

  

   「転校までして、どういうつもりだ!」

   「っあんたから縁を切りたかった、だけ」

   

   は搾り出すように言葉を紡ぐ。
   
   何かを抑えるように。三上がの肩を揺すっても、その表情は歪むだけだった。



   「ふざけんなよ・・・っ」

   「どっちが?もう寮生活なんだから、関係ないでしょ?」



   状況についていけなかった柾輝はようやく思考が追いつき、思わず呟いた。



   「。こいつってもしかして・・・」

   「赤の他人だよ」

   「てめぇ、いいかげんにしろ!」

   「うるさいな、黙ってて!」
 
   「実の兄貴に向かって、んなこといわれて黙ってられるか!」



   実の、兄貴。

  
   その言葉に柾輝はをみた。

   最初にC&Fの載った雑誌をみたとき、翼が気に掛かったことが

   ようやくわかった。   





   「もう私は三上じゃない!」





   苦しそうに顔を歪めるは柾輝の視線から逃れるように三上を睨んで、そう叫ぶ。

   そして柾輝の手を取って走り出した。 





   「!絶対、逃がさねぇからな!」





   不意をつかれ逃げられた三上はを追うより確実で、そして最も情報を

   持っていそうな人物を思い浮かべた。・・・次に向かう場所は、決まっていた。


























   振り返って、三上が追ってきていないことを確認しては止まった。

   柾輝の手を離して、呼吸を落ち着ける。

   

  
   「おい、



 
   あまり息のあがっていない柾輝は、離されたばかりのの手を取って

   近くの公園へと移動する。

   ・・・あぁ、ついに話すときがきてしまった。


   公園のベンチに腰掛けて、は大きく息を吐いた。

   ほら、と渡された冷たい飲み物に礼をいって口をつける。
  
   隣に座った柾輝は、どうしようか悩んでいるようだった。



   「・・・まぁ、いいたくないなら無理に聞くつもりはないけどな」

   「ううん。話すよ、ちゃんと」

 

   もう、逃げてはいられないんだ。

   亮兄はみつけてしまった。制服もみられた。次は学校に乗り込んでくるだろう。

   いつまでも、子供でいちゃいけない。



      

   「亮兄とは、双子の兄妹なの」




   
   一卵性双生児だから、顔も似ている。



  
   「小さい頃からずっと一緒で・・・一緒にサッカーするのが、特に好きだった」




   時間があればいっつもサッカーしていた。

   亮からのパスはいつもの欲しいところにきて、アイコンタクトすらなくとも
  
   何を考えているかわかった。ボールを蹴っているとき、一心同体となれた。

   にはサッカーがすべてで。サッカーも亮がいるからこそ楽しかった。
  
   そして亮のプレーをみるのがなにより好きだった。   
      



   「いっつも亮兄は手を繋いでいてくれた」



 
   どんなことがあっても、離れないと。

   の悲しいときはその泪を拭ってくれて、淋しいときはずっと手を握っていてくれた。

   一緒にいるのが当たり前で、亮がいないと淋しくてどうにかなりそうだった。

  


   「でも歳をとって、それは変わっていった」


   
    
   お互いに友達ができても、好きなことができても、一番は二人だったのに

   そのうち亮は違うものを見据えていった。

       
 

  
   「前にいた学校は、武蔵森」

 


  
   もちろん二人とも同じところに行くつもりだった。
  
   そこでもサッカーが出来ると思っていた。二人の、サッカーが。



   でも、違った。



   中学サッカーは当然男女別。亮は名門武蔵森の中学サッカーを選んだ。

   なんとなく気づいていたけれど、認めたくなくて目を逸らしていた。

   だが、推薦入学を決めるテストを受けていた時点でもう決まったも同然だったのだ。

   はスカウトされない。どんなに上手くとも、男子を上回っていようとも。
 

   部屋にあったダンボールでようやく現実をみたに、亮が言った

   「俺、寮に入るから」という言葉で、家まで出て行ってしまうことを知った。
  

   は広い家でひとりぼっちになった。誰も返って来ない家。ひとりの食事。
   

  

   「でも学校は一緒だから、いつも傍にいるようにいわれた」

  


   亮はを常にそばにおきたがって、昼休みも授業間の休み時間も一緒だった。

   でも亮はサッカー部だから、部活の友達といることが中心になる。

   どんどんの知らない亮が増えていく。

   もうが知っている亮なんて、ほんの一部分でしかないと思うほどに。




   「・・・・子供だよね、ほんと」



 
   心に残った劣等感。サッカーが出来ないと、新しい、自分のサッカーを

   みつけていく亮。サッカーをしている亮も好きだったけれど、そのパスを受け取るのが

   自分ではないことがひどく嫌だった。

   そして二人には距離が生まれた。フェンス越しの亮のプレーは遠い世界のようだった。

   目が離せないほど好きなのに、心が痛い。伊達眼鏡で視界を狭めても、それは変わらない。
   
 
   亮を取り囲む世界は、遠い。でも痛いくらいに優しかった。部員はに友好的だった。




   「渋沢くんは同じクラスだったし、亮と一番近い人でね」




   が淋しがっていることを知っていた、唯一の人。結構仲もよかったと思う。

   サッカー部のマネージャーに誘ってくれたけれど、は現実を受け入れるには
  
   幼すぎた。断ったときの渋沢の苦笑はまだ覚えている。


   渋沢は気づいていたのだ。が亮に依存していたことに。


   そしてこれはまるで母親をとられた子供のような、幼い執着心。

   わかっていても、止められなかった。


   どんどん変わっていく亮が恐くて。

   どんどん離される距離を認めたくなくて。

   亮の一番が自分じゃないことが、悔しくて。  
       

   それでも亮はを可愛がってくれていたと、思う。

   大人になった分、その表現は異なっていたけれど。        

   時々遊ぶこともした。サッカーもした。サッカーだけが二人を繋いでいた。
  
   部活じゃなくても一緒にすることはできる、と前向きに考えて
 
   時々する亮とのサッカーを楽しんだ。

   そのときは以上に亮の実力を引き出せるFWもいなかったから

   はやっぱり亮の一番は自分だと信じられた。   
   

   そしてなによりサッカーは、にとって特別に好きなものだった。

   自分らしくいられるもの。自分の価値そのもの。
    



   「友達も、ちゃんといたの」




   友達がいれば楽しいと思って、女の子たちと遊びまくった。

   ぽっかり開いた穴から目を背け、女子の世界を楽しんでいた。




   「結構告白とかもされてね、何人かと付き合ったこともある」



  
   私のどこがいいのだろうか、と疑問を抱きつつも拒まなかった。

   少しでも亮から離れて生きようと思って、“彼氏”と一緒にいた。

   それでも満たされることはない。  

   我慢しても、きまって亮が邪魔して別れる。その繰り返し。

   それも友達との話のネタにして、普通の女子中学生として生活しようとした。

   どうしたらいいかなんてわからないから、足掻いた。


   そんな中サッカー部に後輩ができた。亮も部員とだいぶ打ち解けたみたいで     

   昼休みにいるメンバーも固定される。そこで紹介された新入生。



   「藤代誠二っていいまーす。誠二って呼んでください!」  

   「笠井竹巳です。・・・三上先輩と血が繋がってると思えない可愛さですね」

   「えっあ、・・・よろしく、ね」



   亮と距離のできたその一年間で、は以前のような快活さを失っていた。
  
   昔なら出会ったらすぐ友達になれたのに、話すことさえ困惑してしまうほどに。

 

   「こらっお前ら、なに勝手に・・・!」

   「シスコンもすぎるとウザいですよ、先輩」
 
   「こんな兄貴なんて、先輩可哀想っ」 
  
   「バカ代!馴れ馴れしく呼ぶなっ」

   「だって苗字一緒だし、仕方ないじゃないスか」

   「それにとても『三上先輩』には似つかないですしね」

   「・・・お前ら・・・・・っ」   
   


   犬みたいに人懐っこくてのことも慕ってくれた藤代。

   意外と毒舌で藤代君の面倒と亮へつっこみをいれ、に優しい笠井。   

   もう亮の周りにはサッカー部しかいない。


   疎外感が、拭えなかった。


   追い討ちのようにの心を揺さぶったのは藤代のプレー。泣きたくなった。

   藤代は本当にうまい。一緒にやりたいと、もっとプレーをみたいと

   思ったけれど、同時にうまれたのは醜い劣等感。
 
   私が男だったら、よかったのに。だって、




   「サッカー以外に、私には何もない・・・っ」




   価値のない自分が周囲の好意を受け入れてよいのだろうか。

   二年生になって半分くらい経つと、の周りから友達と呼べる人間は消えた。

   下心なしでに近づくのはサッカー部くらいしかいなかった。

   皆気遣ってくれた。受け入れてくれた。

   なのに、が彼らを信じられなかったのだ。亮と共にいる彼らを。

 
   孤独と嫉妬心が膨らんで、その醜さに吐き気がした。

   亮の居場所はもう私じゃなくてこの人たちなのだ、と実感し一人で泣いた。

   もう泪を拭ってくれる人はいない。苦しんでいることに気づいてくれる人も。

   それでも私は亮のそばに居たかった。パスを受け取るのが自分じゃなくても
 
   亮のサッカーが大好きだった。
    
    
 
   
   「そしたらある日ね、お約束なことが起きちゃって」




   放課後に呼び出されたとき、また亮のファンの子なのかなって楽観視していた。

   昔から、亮のファンなら双子だしどうしようもないってことで済んでいたから。


   サッカー部の人たちは気がねなく話しかけてきて、周囲には彼らしかいない。

   望まれるままに藤代に弁当をわけたり、渋沢と一緒に教室行ったりもしていた。

   拒まないことで彼らを受け入れない自分を忘れようとしていたのだ。  

   そんな自分が周囲の目にどのように映るかも考えずに、自己保身だけを優先した。    


   女子に浴びせられた罵倒をよく覚えていない。
 
   でもそこでは現状をみつめることができた。


   友達が離れていった理由は、への嫉妬心だと初めて気づいた。

   人気者のサッカー部は女子生徒の憧れの的。

   下心でしか人は寄り付かず、同時に妬みを向けられる。

   もう自分は価値を持ち合わせないのだと知って、悲しかった。

   でもそんなことよりもっと傷付いたのが、





   「亮兄は、私を見捨てたの」





   ファンの代表みたいな女子の肩越しの正面、少し離れた校舎の廊下を

   亮が通りがかったのがみえた。目も、あった。
 
   その表情が一気に歪んだのをみて、安心した。きっと助けてくれるのだと。


   でも、亮はのもとへは来なかった。

      
   代わりにきたのは渋沢。おかげで大事にはならなかった。

   渋沢はの様子を見て、亮を今日は家へと帰らせてくれるといった。
  
   けれど、家に帰っても誰もいない。いつまで経っても誰も来ない。


   淋しくて亮の部屋へ入って、気づいた。

   長期休みに帰ってくるために残してあるはずの亮の荷物が、全部ないことに。

   ポスターも、CDも、漫画も、全部ない。

   天井の白さも、窓からみえる景色も何一つ変わっていないというのに

   そこはただの空間と化していた。  
 
 
   へたりこんだの目に入った、一枚のメモ。


   


   『もう俺に近寄るなよ、





   見慣れた字は、明らかに亮のもので。

   私は彼に、拒絶されたことを知った。