静かに近づいてくる冬の終わりを感じさせるほど

   暖かい陽を受けながら、英士は窓枠に背を預けて座る。

 

   「引越し、しないのか?」
 
   「・・・うん」

   「そっ、か。まぁ、いつでも俺んとこ来ていいぜ」

   「結人の料理は魅力的だけど、」



   受話器越しにもわかる友人の優しさが日差しのように

   心を包む。

   でも、英士は窓から差し込む光で輝く写真に視線をやりながら

   吐き出すように言った。
 



   「・・・・・・離れられないよ」

   

 
   写真の中に写るのは、英士と
   
   凄く幸せそうに、穏やかな笑みを浮かべている。

   もう今はこの部屋に帰ってくることはない。    

   時間も、幸せも、君も。

  
   見上げた空は青く透き通っているのに、が去ってから

   英士の心は暗く、辛いままだ。
  

   

   「っどうしてわかってくれないの!?」

   「どうしてもなにも、俺には何の相談もしてなかったのは誰?」

   「だって英士は遠征だの会談だので忙しかったじゃないっ」

   「移籍が決定したんだから、しょうがないでしょ」

   「そっちこそ一言も言ってくれなかったじゃない!」

   


   移籍の決まった英士と留学をやめた
 
   ただ離れてしまうのが淋しくて。

   そばにいたくて。何よりも好きだったのに。

   歳を重ねるたびに忙しくなる互いに、同棲していてもすれ違っていて。

   売り言葉に買い言葉。

   ただ一緒にいたい、って言えばよかっただけなのに。

   二人とも素直になれなくて。




   「っもう知らない!英士のばか!」




   涙を流して、苦しそうに叫んで。

   は薬指から指輪を外して、英士に投げつけて出て行った。
 

   誰よりも好きなのに。


   俺たちはすれ違って、大切な絆をなくしてしまった。            







   「・・・あいつはもう戻ってこないのに、か」



  



   もう二度と、元に戻らないのわかっているけれど、願ってしまう。


 

   
   「・・・・・・それでも、俺はここにいるよ」   





   自分の指に光るものよりも小さい指輪を弄びながら、英士は

   それを愛しげに眺める。

   陽の光で輝く銀のリングは、二人の絆の証だった。

   
   捨てるように投げつけた君は、その細い指で誰に触れるの?
 
   
   甘い過去。この部屋で過ごした日々。

   宝物のように愛しい二人で居た時間さえ、今は英士を苦しめる。
   
      
   


   「忘れられたら、どれだけ幸せだろうね・・・」





   もう一度抱きしめたい。

   二度と離れないように繋ぎ止めたい。
  
   その体温も、笑顔も、香りも、涙も、全部俺だけのものにしておきたい。
   
   そんなこと叶わない。
  
   でもせめて俺が今でも君を好きでいることは、どうか君に届いて欲しい。





   だって、同じ空の下に、俺たちはいるのだから。





   結人の誘いを断って、英士は一日中部屋の中で過ごす。

   オフシーズンの今、練習以外で外に出ることはなかった。

   昼も夜も変わらず、ただ部屋の中で虚空を見つめ、君を想うだけだ。

   夜の闇は英士の心を癒した。でも同時になかなか去っていかない夜に苦しむ。
     
   君が居ないと眠ることさえ難しい俺を、人は笑うだろう。



   「・・・っ?」



   月明かりで照らされた部屋の中に、もういない君の姿が見えた。

   穏やかに微笑んで、すっと闇に消えた。

   ・・・幻、だ。


   英士は視線を落として、自嘲した。


   一人きりに慣れたと、君の居ない日々に慣れたと自分に

   言い聞かせていたはずなのに。・・・心に嘘はつけない。   

   こんなにも、君を求めている。


   二人で選んだ家具やカーテン。

   飾られた写真に、思い出の品。

   この部屋は君といた時間でできている。

   
   あまりにも輝かしい君との過去が、今の俺には眩しすぎて。

   一人の淋しさを募らせていく。   
        
   
   忘れられたら、どれだけ楽だろう。

   忘れられたら、どれだけ幸せだろう。

 
   けど、できるはずもないんだ。

  
   たとえ今立ち直ったとしても、のことだけは俺の心から離れない。


  


   「・・・・・・




    
   英士は自分の指から指輪を外す。

   この手はもう、君に触れていた指じゃない。

   幸せにいたあの頃は、当然のように希望を語っていた。

   出会った頃のように、同じ未来を夢見ていた。

   けれど、もう今は行き場をなくしてしまった。




   「歩き出さなきゃ・・・」
  



   が出て行ってから、もう三ヶ月が経つ。        
  
   移り変わる月日に辛さを少し消化して、上手く風に乗せるように

   この心の傷を癒す。

   そうして、君への想いだけを永遠に残すよ。

        
   俺から離れていった君は、誰か他の人と愛し合っているのだろう。

   そう思うと胸が痛む。

   英士といたときのように、笑って、泣いて、キスして。

   愛を紡いでいく君の姿。

   英士の中に居ると同じなのに、もう他の人のものである君。


   締め付けられる胸を、英士は無意識に押さえた。

   
   もう二人で歩むことはできないとしても、いつまでも俺が君を想っていることを

   知って欲しい。
   
   



   「・・・愛しているよ、





   もう届かないとしても、この狂おしいほどのへの想いを胸に、英士は願う。

   再び君が戻ってくることを。

   この愛が君に届くように、強く。


   日が沈んで、月が昇っても空はどこまでも澄んでいる。    

   君も同じようにこの空を見上げているのだろうか。
 
   欠けた月を、散らばる星屑を、藍色の闇を。
   








   ring








   吸い込まれそうな夜空を閉じ込めるように、英士はそっと瞳を閉じた。       
 
 
  
   
 






09.02.10