幾度も肌を重ねて、君は自身を雄弁に語った。

   普段の優しい顔を捨て、ベッドの中では少しだけ意地悪になる。

   他にもまだ沢山、僕には知らない君の顔があるのだろう。

   知りたくないわけじゃない。


   知りたい。

   知り尽くしたい。

   身も心も全部、俺のものにしたい。

   
   でも、すべてを知ったら、君は離れていってしまうから

   俺は目を逸らしているだけなんだ。

   


   「誠二・・・?」

   「何、さん。もっとほしいの?」

   「・・・ばか」

   「あ、ひどい。・・・今日、違う匂いするね」

   「香水、いつもと違うのよ。旦那とディナーに行くはずだったから」

    

   また仕事につれてかれちゃったけど、と彼女は自嘲するように微笑った。

   
   旦那。そう、さんには帰るべき場所がある。 

   子供は居ないけれど、彼女は人妻だ。

   それでも、君はそんなこと嘘みたいに気高く、美しい。
 
   だから俺は、俺にいっぱい愛された後に、家庭へと

   現実へと戻る君を知らないフリをする。

   そうしないと、この関係も終わってしまうから。










   vanity










   さんの細い身体を後ろから抱き締めて、俺はその肌に顔を埋める。

   先刻までの行為をまだ残す、熱った肌。
 
   微かな汗と、それと混じった香水の匂い。

   いつも俺と会うときにつけてくる甘く華やかな花の香りではなく、
  
   淡い穏やかな・・・桜、の香り。

   
   旦那といるときの彼女の顔は、いつも俺が見ているものとは

   違うのだな、と痛感する。

   俺が何度も抱いたこんな挑戦的で意地悪で、それゆえ儚く美しい

   夜の姿なんて思いもしない姿なのだろう。

   月夜のように美しいさんは、昼は太陽のように明るく温かい笑顔で

   過ごしているのだろう。寂しさなんて、みせもせず。

   蝶みたいにひらひらと俺のもとを訪れては、蜜を補給して去っていく。

   愛でているのは、俺じゃなくて彼女。


   

   「さん・・・」



   
   このまま君の香りで眠って、目が醒めなければいいのに。

   朝が来なければ、君はずっと僕の傍にいるのだから。

   ありえない、とわかっていても願ってしまう。

   甘く囁く君への愛は、本物だと信じたい。


   この関係なんて、いつ終わるかわからないほど脆いのだから。



   「・・・せ、いじ・・・っ・・・・ぁンっ」

   「もっと、呼んで・・・」

      
     
   君との情事の快楽は、とても儚いつながりでできている。

   現実と夢との狭間で愛し合う俺たちは、感覚だけの生き物となる。   
   
   俺の見ている姿が本物なのか、それとも夢幻なのか。

   それさえもわからないほど、堕ちていく。


   でも、君の左薬指にある指輪がなくなることはない。


   その目障りな光が、確かに君が僕のものではないと語りかけて。





   「愛してるよ、さん・・・」





   口付けさえも苦くする。


   それでも、やめられないんだ。
  
   俺のものにならなくても、抱いているときだけは君の世界に俺しかいない。

   





    


   「誠二。私、もう帰るわね」

   「うん、バイバイ。・・・また、電話して」

     
   

   一眠りした後、さんは着替えてこちらを振り向いた。

   その表情が、ひどく淋しげで。

   俺は、嫌な予感がしていた。胸が痛い。

   いつものように次に繋がる淡い約束をしただけなのに、彼女は

   微笑んで部屋を出て行った。振り返らずに。


   違う。


   いつもなら、もう一度俺を見て、俺の名前を呼んで。

   夢の欠片を抱きつつ、現実へ戻る感覚を取り戻して去っていく。

   なのに、違った。

   振り返らずに初めて昼の顔をみせた。偽りの、笑顔。




   「そう、か・・・」



     
   今夜はまだ終わっていない。朝になる前に帰る理由。

   これから夫の元に戻って、俺としたように愛し合うんだね。
 




   「俺と違って、日が昇っても、一緒にいるんだ・・・?」





   漏れた声は、切なく夜の闇に消える。

   君に問うたはずなのに、届くことなく融ける。


   できることなら行かないで欲しい。

   俺だけの君になってほしい。


   ありえないってわかっているけれど、欲が出てきてしまった。

   君があまりにも、俺を求めるから。


   シーツの純白が、君の残り香が、胸を締め付けた。





   
   「っ、さん!」
 

   


  
   俺は気づいたら飛び出していた。

   離れるなんて。もうおしまい、なんて。

   そんなこと、いわせない。


   廊下を走ると、エレベーターを待つ君の姿をみつけた。

   その横顔はあまりにも儚くて。
   
   いつもなら、了承をとってからじゃないと何もしないけど。

   何も言わず、いきなり抱き締めた。
   



   「せ、いじ・・・っ!」

   「なんで今日は朝まで居てくれないの?」

   「・・・それ、は・・・今日は、もう、帰らなきゃ・・・っ」

   「夫のとこに?」

   「・・・・・・・・・・・・・っ」




   さんは必死に目をそらそうとする。

   迷っている彼女の瞳。

   泣きそうになるほど、我慢している心が見える。

   そう、それは俺の存在がもたらすもの。  
  
   

 

   「それとも、不倫に疲れただけ?」   





   何か言い返そうと、言い訳しようとするさんの唇を

   自分のそれで塞ぐ。
  
   何も言わせない。今はまだ、太陽はいないのだから。

   君は、俺のものだ。


   喰うような口付けが、君の呼吸を荒げる。

   唇をなぞる感触が、君の心を闇へと戻す。



   
   俺は腕の力を強くして、耳元で懇願した。
   


           


   「・・・お願い、そばにいて」



  
 

   ごめんね、現実には戻らせないよ。  
   
     

   夫か、俺か。

   自分のしていることに泣くのは俺の胸だけにして。
   
   もうこれ以上夫に苦しむ君を見たくない。
  

   でも、その言葉は君には届かなくて、君が選ぶはずもなくて。

    
   ありえない幸せは僕の中でだけ広がる。
  
   君はいつだって、僕を求めるから。

   その薬指にある鎖がはずれることがなくても、君は僕の腕の中にいる。

   抱けば抱くほど、君が遠くにみえるとしても。













09.02.10