だってまさか、そんなこと。



   
   終業のチャイムが鳴って、ケースケは大きく伸びをした。
   遠征だの合宿だのいろいろあって、久しぶりに来た学校はもう自分の席の
   場所さえ変わっていて、授業なんかも当然のことながら進んでいた。
   真っ白な自分のノートにいなかった分を必死に写しているだけで、授業が終わっていく。

   当分はこんなにがっつり休むことはないだろうとはいえ、さすがにこれじゃあ単位がやばい。
   学校側も考慮してはくれているが、ここまで内容がさっぱりだと
   もはや一か月後に迫る試験の結果は目に見えている。
  
  

   「随分とお疲れのようね。はい、続き」
   「・・・ありがとう」
   「私は授業のときさえあれば平気だから、別にそこまで急がなくてもいいのに」
      


   広げているノートの隣にどん、と5冊ほどのノートが置かれる。
   

 
   「さすがにそれは悪いから。いつもどうもな、


  
   いいえ、とケースケの前の席に座りながらメロンパンをかじる
   写したノートの中身をみて少し眉を顰める。



   「それにしてもこれじゃあ終わりそうにないけど・・・コピーしちゃえば?」
   「・・・この間スパイク新調したから金欠なんだ」
   「あら、ご愁傷様。山口くんが断らないならあげてもいいんだけどねぇ」 
   「毎回毎回借りてる上にそこまま図々しくできないって」
   
 

   えーうちの弟なら喜んでもらっていくわよ、と笑っては席を立つ。
   その顔が楽しそうで自称ブラコンは本当なのだと感じられる。


   「あ、あと担任が呼んでたわよ。たぶん、課題のプリントのことで」
   「やばい!すっかり忘れてた・・・!」
   「試合の結果きいて喜んでたから大丈夫でしょ」


   手を振りながら見送るに礼を言ってから慌てて飛び出していく。
   ・・・本当に、彼女の前ではいつもこんな感じだ。

   
  
   彼女と仲良くなったのはそんな昔ではない。
   2年になってすぐ代表の合宿、そして珍しくインフルエンザにかかった俺は
   新しいクラスになんと2か月も遅れて合流した。
   仲良くなれるか、居場所がないなどといった悩みは全くなかったのだが、死活問題として
   最初の方のノートがまったくなかった。
   
   ええええ、マジかよ・・・!と頭を抱えているところに先ほどのようにノートを貸してくれたのが
   隣の席にいただった。「ジュビロユースの山口くんだよね?」と自己紹介もしていないのに
  (ずっといないのは俺だけだからだろうけど)彼女は前から知っていたかのように名前を呼んで、
   授業がどこまで進んでいるかを教えてくれた。
   
   どうやら彼女は弟がサッカーのユースに入っていて、試合や合宿などでノートやらが不足すると
   ぼやいていたことをきいて、つい世話を焼いてしまったらしい。
   とはいっても彼女の弟はノートは写さないかコピーしてしまうか、授業なんてどうせ寝てるから
   大して変わんない、と言ってのけるという。
   だからか俺が必死に追いつこうとしているのが面白いようで。

   大人びた雰囲気をもつ、涼しげな彼女の瞳が笑うのが嬉しくて、俺はこんな生活だけど
   悪くない、どころか幸せだなぁと思ってしまうのだ。

   優しくて面倒見がよくて、普段は大人っぽいのに話すとちょっと意地悪で。
   表情がわかりづらいかな、と思ったのは最初だけで、目が口ほどに物をいう彼女の長いまつげに
   縁どられた切れ長の瞳とか、乾燥を気にしてるというさくらんぼみたいな色した唇とか
   そこから出てくる意外と辛辣な言葉とか、色んな面がみえるたびに面白い。
   背中まで流れる綺麗な黒髪からする、微かな香りはどこかで嗅いだことがあるような、懐かしさと
   親しさがある。 


 
   「・・・なにその惚気。きもい」
   「きもいとはなんだよ!久しぶりだっていうのに失礼だな!」
   「久しぶり?先週選抜合宿一緒だったじゃん、ボケたのケースケ」
   「うっ、まぁ、だからこそ一週間ぶりってことで」
   「・・・だいたい、付き合ってるわけでもないんだろ」
   

   ぐ、とケースケは言葉に詰まる。
   
   選抜の合宿から帰って一週間、今度はクラブの合同練習で平馬にやられるとは。
   合宿のときは同室じゃなかったけれど、移動のバスで前後だった俺はの話をよく平馬にしていた。
   もちろん聞いてるようで聞いてないいつもの反応だが、どうやら今回は聞いてたようだ。
   にしても痛いところをついてくれるじゃないか。

   練習中にどうにか帰る約束を取り付け、ハンバーガーショップに入ったまではよかったのだが。

  
   「目はわかるけど、唇までみてんの。きもい。変態くさい」
   「いつもメロンパンかじってんだから自然と視線行くだろ!?」
   「・・・きもい」
   「あ、ちょっと待て、相談なんだよ、今日は!」


   練習後で疲れてんだけど、とため息を隠しもしない平馬のトレイに、ナゲットを一つ置く。
   さっさと話さなければこいつは帰ってしまう。いつものことながら、ハンバーガーおごりで
   ついてくるのだから現金すぎる。それでも一緒にいる時間はとても短い。食べ終わるまでだ。
 

   「この前もその前もずっとその人について話してるだけじゃん、どうしたいわけ」
   「どう・・・って、あー、うん、まぁ」
   「うざい」
   「ああもうお前は!どうしたらいいかわかんないから、聞いてるんだろ!」
   「てか、それ、好きじゃん。告白でもすればー」
 
      
   じゃあ俺、姉貴がハンバーグつくってるから帰る。

   そう言い残した平馬の言葉さえ、ケースケの耳には通り抜けた。
   え、あ、そう、だよ、な・・・!え、・・・ええええええええええええええ!?
   告白ってあれだよな、放課後呼び出して二人っきりの教室で、外の喧騒が少し
   遠い中、二人見つめあって、それで、真っ赤になりながら・・・ってえええええええええ!
       

   
   「とりあえず、日曜の俺らの試合呼べば。ちょうど磐田でやるし」



   そんなケースケを一回だけ視線で振り返って、平馬はため息をついた。
   あ、ああ!なんて返事してたけど、聞こえてんのかなー。ま、いっか。  
 
   

  
   +++




   「先生がコピー機使っていいって。オンボロのやつだけど」
   「やった!助かった・・・!さすがにもう、テスト勉強までたどり着かない」 
   「だと思って。もう、真面目すぎるんじゃないの、山口くん」
   「いやーさすがに今くらいは勉強しとかないとな」
   「高校生なんだから、そこまできっちりしなくても。単位足りるでしょう」
   「それでも。学生なんて短いしさ」


   昼休み、まだ必死にノートを写してる俺を見かねて、がやってくる。
   どうやら今日はいつも一緒にいる友達が休みのようで、手には手作りらしいサンドウィッチ。
   ハンバーグのいい香りがこちらまで届いてくる。
    
   一旦シャーペンを置いて顔をあげると、ぽつりとが言う。
 


   「山口くんのサッカー、みてみたい」
   
   

   日曜の俺らの試合、呼べば。
   これは、またとないチャンスじゃないのか。というか学校の限られた時間で
   委員会や勉強の話ばかりで、たまに弟の話をきくだけで、あまり話せていない。
   もっと俺を知ってほしい。その気持ちは確かに膨らみはじめていた。   
 

   「日曜、俺のクラブで試合するけど、来る?」
   「いいの?」
   「相手、清水のユースで、面白い試合になると思う」
   「じゃあ、行きたい!例の年下くんは確か清水よね」
  

   ケースケがたまに愚痴る、平馬のことを覚えていたらしい。
   具体的に名前を出したわけじゃないが、合宿や合同練習でよくいじめられるといったのを
   よく覚えていたものだ。そんな言ったつもりはないのだが。



   「楽しみにしてる」



   ケースケは内心ガッツポーズをして、活躍するぞ!と意気込んだ。 
   日曜日は、明後日だ。
   





   そして、日曜。
   まさかの出来事が、起こる。



   「・・・え」
   「え」



   初めて見た私服が可愛くって、普段おろしている髪を結っていて、それがまた似合っていて。
   そんなドキドキをふっとばすような、こと。

   目の前にいるのは可愛い。そして、駆け寄ってきたのは、平馬。


   「あれ、姉ちゃん」
   「・・・平馬」


   そしてが驚いた顔で呟いたのは、平馬の、名前。


   「なんで!って、そっか、清水」
   「珍しいな、試合見に来るなんて。日焼けすんなよ」
  

   アップから抜け出してきた平馬が、ケースケをみて至極楽しげに笑った。
   え、ちょっと、待て。

   ケースケとの間に、しばしの沈黙が走る。
   いやそんなまさか、と二人とも似たようなことを思っている。
     

   「・・・そういえば、横山だったっけ、
   「えぇ、横山です・・・やる気なさそうな山口くん弄りする年下サッカー少年なんて
    そんないるわけないわよね」
   「弟、ユースに入ってるっていってたもんな・・・そうか、県内ってうちか清水しかないよな」
   「うん、言わなかったっけ、清水って・・・」
   

   もしかしてとは思ったけど、本当に、まさか。
   平馬は二人を見て、一つ息を吐いた。



   「気づいてなかったわけ」



   最初からわかっていた口ぶりに、二人が呆然と平馬の方を向く。


   「だって清水と磐田よ?」
   「姉ちゃんが遠い高校行くからじゃん」
   「う・・・」
   「え、ちょ、まさか本当に・・・?」
   「うん、姉貴」


   平馬はゆっくりとの肩を引き寄せて、ケースケをまっすぐ見た。
   あぁ、これはもう、確信犯だ。


   「どーも。姉がいつもオセワになってマス」


   俺、散々平馬に相談したのに!?
   全部知ってて、今までなにもいわなかったのかこいつ!
   

   ・・・その日の試合は、清水の大勝だった。





   


   +++




       

   「あ、今日の放課後か昼休み、空いてる?」
   「放課後、珍しく空いてる、けど」
   「この間言ってたところ、教えようかと思って。あと委員会の報告」
   「マジ?」
   「マジ。もちろんメロンパン一つで」
   「・・・お願いします」
    

   よろしい、と笑う彼女の涼しげな目元が楽しそうに笑うのが嬉しい。

   この間の試合から一か月。試験はノートのおかげでどうにかなったのだが、またもや
   遠征が入って、相変わらずノートや授業には遅れている。 
   そして俺らの関係も、まったく進展などせず、ただ平馬から情報が筒抜けになるようになった分、
   少し距離が縮まった・・・と、思いたい。
   
   廊下で野球をやってるクラスメイトを横目に、はそういえばと切り出す。

     
   「平馬に爪の垢煎じて飲ませてやる、っていったら、暑苦しくなるからやめた方がいいって」
   「あいつ・・・」
   「確かに暑苦しい平馬なんてみたくないわね、可愛げないどころか気持ち悪いもの」
   

   そういうところ、やっぱ姉弟だよ。出かけた言葉を飲み込む。
   平馬が楽しみにしてた『姉ちゃん』のハンバーグの次の日、は残ったからと昼にハンバーグを
   サンドウィッチにいれていた。髪からする香りも、借りたハンカチの香りも、どこかで嗅いだ
   どころか、平馬からたまにする香りとまったく同じだった。
   長いまつげで気づかなかったが、よくよくみればこの涼しげな瞳は平馬より大きいものの
   そっくりだった。うわ、気づけよ俺!
   まぁこれで平馬が彼氏だったら立ち直れないが、同棲どころか血までつながってるとは。
   ・・・弟になるのか、あれ。恋敵よりやっかいだと頭を抱えたくなるのは仕方ないだろう。

    
   「でもまさか、平馬の知り合いとはねぇ」
   「こっちの台詞だよ、それ」
   「平馬から色々きいてるのに、山口くんに繋がらなかったのはなぜかしら・・・」
   「それはそちらの弟にきいてください」
   
   
   あはは、とが笑う。ケースケはうなだれ・・・ようとして、視界のすみに廊下のボールがみえた。
   廊下の開いた窓を通って、こっちに、飛んでくる。



   「!」

   

   ぐいっ、と手を伸ばして、抱え込むように引き寄せる。
   ケースケの手をかすったが、直撃はしなかった。
   ボールはロッカーにあたり、盛大な音を立てて、床に転がる。

   にしても、あれ、本物の野球ボールじゃんか!
   前に公園で拾ったとき、軟球といいながらそれなりの硬さを持ったゴムのボールに驚いたものだ。    
   あんなのが当たっていたら、確実に怪我をしていただろう。 

 
   「あぶねーな!平気?」
   「あ・・・う、ん」      


   ふわりとする甘い香り。
   決して強くないがはっきりと主張してくる、女の子のにおい。  
   腕の中の細い体は、びっくりするくらいやわらかくて。
   触れている部分が、じわりと熱い。
   

 

   「・・・俺、が好き」




   ぽつりと出た言葉は、にしか届いていない。
   言うつもりもなく、ただふと溢れて、零れてしまった本当の想い。



   「・・・だ、だめ」



   ぐい、とケースケの身体を押し、腕から抜け出してしまう。
   もったいない。
   その表情はみえないけれど、髪からのぞく耳が赤く染まっているのは、わかった。


   嫌じゃなくて、だめ。


   その意味が一瞬わからなかったけれど、いつまでも顔をあげないをみて、思わず苦笑して
   しまう。意地っ張りな、彼女。 
   そうだ、彼女はあの平馬が大好きでたまらない姉なんだ。一筋縄でいくわけがない。 

   ケースケはの頭をぽんぽん、と撫でながら笑う。
   




   「最初から捕まえられるなんて、思ってないよ」





   だから少しずつ、捕まえようか。