6限終了のチャイムが鳴り、同時に担任が入ってくる。
   適当に挨拶だけすると、終礼。


   「御幸、今日も部活?」

   「まぁな」

   
   友人以上の中で、前の席のが声をかけてくる。
   ちなみに目下片思い中。しかも、この俺が。 
   

   「ー!ちょっと来い」
 
   「えっ、先生、あたし?」

  
   なんかしたっけ、もしかして早弁のせい?とか呟きながら、唇を尖らせて
   は担任へ振り向く。

   (いや、もう今更授業中の早弁くらいじゃ呼び出されないだろ)

   くっと笑った俺に振り返ってはじゃね、と一言いって担任の下へいった。


   


   *



  
   練習後、暗くなったグラウンド。今日は早めにあがったとはいえ
   本来、この時間ならついていないはずの教室の窓から漏れる明かりが見えた。
   あれ、うちのクラスじゃん。   
   今日は答案返却日だったのもあって、俺は一つの答えにたどり着き
   着替えるとそのまま教室へ向かった。
   足取りが速い。まさかな、とは思いつつも教室へと急いてしまう。
   あー俺ってわりに純情?なんてな。
    
   ガラ、と静かすぎる教室に扉を開ける音がやけに響いた。
   教室の中で座っていた人物はびくっと肩を震わせる。あぁ、やっぱり。

   

   「何やってんの?」
 
   「うえっ、御幸、こそ」


        
   半泣きで机に向かうがいた。
   俺はの前の席に、向かい合うように座る。

   

   「どったの、

   
   
   するとは、御幸ぃー・・・と情けない声を出した。
   



   「課題、出されたの。もう山ほど。無理、死ぬ、絶対無理。」 
     



   涙目で縋るように俺を見上げる。  
   みると、机の上には数学のプリントが、本当に山ほどあった。

      

   「、そんなバカだっけ?」
   
   「うるさいな!なんかね、佐々木が数学だけ赤は許さないとかいいやがってー・・・」


   
   他の教科はいいのにさー、とは机につっぷす。
   俺はその頭をぐしゃと少し乱暴に撫でて、プリントを一枚手に取る。
   微分、積分、対数と今回の範囲の問題が基礎からさほど難しくない応用まで書いてあった。
   視線をに向けて、どんくらいだったわけ?と俺が尋ねると、そのままの体勢で
   返事が返ってくる。髪が肩から落ちて少しだけ覗く首は白かった。
 
      
   
   「・・・ほとんど90点前後」
  
   「そんなに難しくなかっただろ、今回」
  
   「うるさい学年1位。因数分解できないんだからその後わかってても無理だもんー・・・」

   
  
   因数分解からか!と笑うと、倉持より低かったとかショックでかいわーと
   見事に萎えた低い声が返ってくる。
   
   何時間ここにいたのだろうか。耳が少し赤い。
   ひんやりとした空気の教室は、机もイスも冷たかった。
   教室から見える外はもう真っ暗だ。時々沢村の声が微かにきこえる。
    
   ブランケットもかけず、ここにいたの身体は冷え切っているだろう。
   それでも解けない問題に必死になっている姿を想像して、少し微笑ましかった。

   グラウンドがよく見えるこの席で、野球部の練習を目にとめて、
   助けて御幸、なんて俺を浮かべてくれてたら、いいのにな。     
   ありもしない理想が浮かぶ。



   「御幸?」
  
   「・・・お願い、一也って可愛くおねだりしたら、解いてやってもいいよ」  
  
   「・・・、・・・やだ」


   
   は身体を起こして、複雑そうな表情をしていった。
   ちぇ、と心の中で呟いて俺は立ち上がる。
   
   

   「じゃあ、このまま明日を迎えるんだな。俺、帰るわ」

   「えっ、待って、やだっ」
  


   は慌てた様子で、踵を返そうとした俺の腕を掴んだ。   
   腕の半分くらいまでしか届かない、小さな手。冷たかった。
   でもアイシングのように、練習後の熱い身体には心地いい。
 
   しかし、予想外の行動に俺は軽く目を見開いていた。
   縋ってくる瞳、手。普段は一人でやろうとするのに、急に俺に頼ってくるなんて。
   いつも倉持とかに計算でやる上目遣いを、今は素でやっていた。
   くそ、ずるいとか思っても、鼓動は少し大きくなっている。



   「・・・なに、?」
 
   「いや、その・・・それはー、ちょ、」

   「寮門限あんだけど、一応」  
  
   

   もごもごと口ごもる姿に、更にイジワル。
   は耳も頬も少し赤く染まっていた。視線を泳がして、悩んでいる。
   ・・・やばいだろ、これ。
     


   
   「なぁ、なんで、?」




   初めて、名前で呼ぶ。
   するとは一気に赤くなった。

   え、ちょっと、これは。




   「・・・一人で教室にいるのはさすがに、怖いから、です」
   

      

   途切れ途切れに、そういうと
   あーもういいたくなかったー、とは顔を背けた。
   俺を掴んだ手はそのままだった。縋る白くて、小さい、愛しい手。
   の手は冷たいのに、触られているところが熱い。
   本人はそんなこと知るはずもないのに、俺ばかりが動揺して、嬉しくて。
   ガラにもなくドキドキしてる自分がいる。くそ。


   
   「・・・負けた」



   俺はまた座りなおす。
   やった、とは大きな瞳を輝かせた。単純なやつ。

 

   「わかんないとこ、いって。教えてやっから」

   「えっと、こことこことこことこことここと・・・」  
  
   「はっ。何だそれ。クラリネットの歌じゃねーんだから」

  

   は、真剣に一問目から五問目だけを抜かして七問目までを指差す。
   その姿に俺は噴き出した。
   すると眉間に皺を寄せては俺を睨んだ。

   堪えきれない笑いをそのままに、おーこわとだけ返して問題に向かう。
   基礎からわかっていなかったので、俺は一つ一つ細かく教えていった。
   練習で疲れていたが、少しでも長くこの時間が続くように。   
  


   「そーいや、何点だったわけ」

   「・・・・・・17」

   「はっはっは!クラス最下位か」

   「うっさい。でも、総合は学年で10番だったよ」

   「・・・マジ?」

   「うん。自己ベスト。ちゃん天才」

   「そりゃ、佐々木も怒るわ」



   そんな雑談を交えて、互いに笑う。次の問題へ移る。それをくり返した。
   解説してても分からないところは多くて、たまにはありえないほど混乱して
   奇声を発しながら悩む。
   
   六問目にまでたどり着いた今も、そうだった。


   「え、どゆこと、ちょっと、え?」

   
   とかくり返して、御幸ぃー・・・とまた甘えたような声で俺を呼ぶ。

   問題を眺めつつ、あぁもうすぐ門限じゃんやべぇなとか純さんとビデオ観る約束してたっけとか
   こいつんちどこだっけあぁ学校の裏かとか、
   どうやって、このチャンスを活かそうか、とか考えていた俺はが自分を呼ぶ声を
   聞いていながらも、意識にまでは届いていなかった。
   
   ただ、目の前のに、集中していた。(うわ、言ってて恥ずかしーわこれ)
   
   細い肩。少しだけ痛んでいるけど、綺麗な亜麻色の髪。
   意外に小さな体。指。爪先。
   

   
  
   「御幸っ?ちょっとー、あたし、帰れないじゃんかっ」 
   



   の声が遠く感じる。
   そーいや、今日こいつの好きなドラマやるっけなー、なんてぼんやりと思い出す。




   「・・・き、一也!」

  
   

   大きな声で言われて、はっとする。
   10センチもないくらい顔を近づけて、は不思議そうに俺をみていた。

    

   「っ」

 

   近い。吐息がかかるほどの距離。      
   


   「門限あるんでしょ、早く早くっ」    
     

   
   親しすぎてある程度の迷惑なら顧みなくなったは、顔を離して問題を指差した。
   七問目、これで終わらすつもりらしい。


   俺はそれどころじゃないのを、必死に隠そうとしていた。
   脈が速い。いやいや、こんなキャラじゃないだろ、俺。

   そこで、追い討ちをかけるように思い出す。
   真っ暗な外、誰もいない校舎。教室に、二人きり。

   

   「これもさっきと同じだって、ここを・・・」

  

   雑念をそのままに、急かすに近づいて問題を覗きこむ。
   
   あ、こいつ意外と睫毛長いんだな。肌もやっぱ、綺麗だ。柔らかそうだし。 
   そう思った途端、俺の中にはある欲望が枷を破ってわきあがってきて。
   身体は、動いていた。


 



   「勉強料。まいどありぃ」




   
   ニヤ、と笑って俺は立ち上がった。

   触れた唇の柔らかい感触と、確かな熱がいつまでも残る。
   離れる瞬間に舐めた唇はずっとそのままでいたいほど愛しかった。
    
   は顔を真っ赤にして、俺を見てた。固まってる。
   プリントが一枚、はらりと落ちた。