次の朝が来る前に、私たちは店から開放された。

   

   土手に二人で座って、潤慶は懐から一枚の紙をとりだした。

   有名な画家が描いたという、潤慶とその隣で微笑む似た少年の絵。
  
   


   「これが、ヨンサだよ」




   潤慶はその少年を指差して言った。
      
   こっちだと『えいし』かな、と付け足す。


   空が白んでくる時刻、辺りは静かだった。   

  
   あの後、潤慶がすべてを請け負ってくれ、が客を殺したことは

   ただの事故とされた。

   誰も潤慶のいうことを疑いはしなかった。



      
   潤慶は店を出てすぐに家を買って二人で暮らし、それから二年

   は彼に彫り師としての技術を学んだ。





   「・・・さすがだ、。幾年の日々が過ぎようと、その腕は君の中に在るんだね」

   



   の彫った刺青をみて、潤慶は笑んだ。


   血塗られた手で、は自分の過去に化粧のように綺麗なものを上塗りして

   隠していくことしかできなかった。

   しかし、隠しても隠しても、塗っても塗っても現れるその汚れは

   新しい日々を歩んでも決して薄れることはない。


   


   「ユン・・・?」





   ある日の朝方、は髪を撫でられる気配で目を覚ました。

   覚醒しておらず、まぶたは半分も開いてなかったが、その耳に届いた声。







   「・・・お願い。英士を救ってあげて」







   祈るような、まるで夢物語の中のような、そんな声だった。
   
   あまりに美しく、儚げな声をは夢だと思っていた。

   確かに、自分の大切な双なき人の声であったにも関わらず。 
   


 


   「っユン!?」



 


   起きたら、どこにも彼の姿はなかった。

      
   もう彼も自由になったのだと思っていたのに。

   私と共に生きてくれるのだと信じたかったのに。


   彼は、私をひとりで立たせるためにこの二年を過ごしたのだ。

   絶対に抗うはずのない私に、新たな枷をはめて。





   英士を救って。




 
   潤慶が去ったと同時に『夜桜蝶屋』と名を変えた店に

   英士がやってきた。






   「英士っていうんだ」






   私は、誓いのために友情を語る。 
  
   
   潤慶が英士を好きだから、私も好きなの。

   潤慶が英士をいっとう大事だと笑ったから、私もいっとう大事だと思うの。

   潤慶が英士の手を離さないでいたかったと悔やんでいたから

   私はその手を離さないの。
   

   潤慶の代わりに英士を救けて、潤慶の代わりに英士と玉響の幸せを紡ぐ。
  
   私の思うことは、潤慶が思うことと同じ。

   英士が私にとって大事なのは、潤慶が英士を双なき宝だと思うから。

   英士にとっての光となることが、潤慶が私に課したものであり

   それはまた潤慶自身がしたくともできなかった、切なる願いでもあるから。

   私は英士を救けてみせると、誓ったの。











   息を呑む結人と一馬を前に、はふぅ、と息を吐いた。

   そう、と呟く。








   「私はただの人形よ」
   

 




   私は潤慶がしたかったこと、今もしたいと願っているであろうことを

   代わりにしているだけ。


   道具と同じ。役割があるってすてきよ。


   





   「もう誰も、私のことを忘れ草とは呼ばないわ」







   店にいた頃はあんなに眩しくて欲しかったはずなのに

   潤慶がいない外の世界は怖いくらい、にとって必要なかった。


   生きろ、って潤慶は私にいった。


   でも、潤慶がいない世界なんていらないから、潤慶の代わりをつくったの。

   そうすれば、私はこの世界が必要になる。







   
   「英士は私にとって、潤慶からの甘く愛しい・・・枷なの」








   私が潤慶としたかったことを、代わりに英士としているの。
     
   四季の花々を愛でて、散歩して、毎日幸せに笑いあうの。

   互いにどんな傷と闇を持ち合わせていようと、一緒に歩んでいくの。


   背負う運命に悔やむことも悲観することもない。          
   
   たとえその先に死しか待っていないとしても。

   たとえ世界が私を忘れても。

   私の時は潤慶と過ごした時間で止まったままだから。

   潤慶が笑ってくれれば、もうそれだけでいいから。

   英士が幸せなら、潤慶も幸せだって、いっていたから。



   私の世界に現在はない。



   ただ、潤慶との時間が繰り返しあるだけだ。

   潤慶という依存の対象を、本人ではなく英士に代えて。 
   


   彼の大好きだった彼岸花を私は幾度もユンに捧げた。

   その花にのせて告げる言葉は、花の告げるものと同じ。




   
   「『想うのはあなた(ユン)一人』」

   

  
 
   六歳だったあの頃から、潤慶が私のそばからいなくなった九歳の頃も

   そして真実をいくらでも隠していけるほどに汚れた現在も

   花の告げる言葉を変えるつもりはない。


   届いていてもはぐらかし、告げられる言葉も聞き流そうとも。

   彼にとって相思華を捧げる相手は従兄弟だけだとしても。




   潤慶は残酷で愛しい、恩人であり、私の心を支える・・・ただ一人の男。






   「ユンがくれた枷を、私は彼だと思って愛で続けるの」






   そう微笑を浮かべたは、妖しのようであった。
 
   ひんやりと静かに、誘うのは極楽なのか地獄なのか。
  
   潤慶が負わせたのは、愛しくもとても血塗られた名。
    


   もうなにが本当なのか

   今の私が何を感じているか

   本物の私はなにを欲していて

   偽りだけの夢で生きていたのか

   それとも甘い枷の中で現を生きていたのか

   わかることなど何一つない

      
  





   「死体に咲く花のように、私はあの日の客の骸を礎に生まれたのかもしれないわ」








   それとも、真実は巻き戻った記憶の中に在るのだろうか。
 
   必死に足掻いた、六年の歳月の中に。

   








09.02.04