現の世で起こることに運命なんてない。
すべて、誰かの手で組み立てられていて、偶然なんてありえないんだ。
僕はそれを誰よりも知っている。
なぜだろうか、今夜は従兄弟を思わせる月の美しささえ霞んで見えた。
偶然は必然
絢爛豪華な調度品で埋め尽くされ、華々しい衣装を纏った芸妓が
部屋には溢れていた。
夜の闇に輝く遊廓の中で、どこよりも賑やかで高価な空間。
その中心にいる黒髪の少年は、片手にもった椀を煽る。
彼の正面で優雅に舞う芸妓が送る熱い視線を受け止めているようにみせて
まったく見ていない。
頭には今頃このように舞っているだろう従兄弟の姿が浮かんでいた。
隣に侍る芸妓が空になった少年の椀に酒を注ぎながら尋ねる。
「ユン様、どうなさいました?」
だがユンはその問いすら耳に入っていなかった。
六年前出会い、そして別れた少女。
彼女の芸に比べればこんな座敷などただの現でしかない。
現を忘れ、気を浮つかせるなどできやしない。
満たされた椀の中身を全部煽ると、ユンは窓の外に浮かぶ月へと視線を移した。
「ユン様は、忘れ草のことで頭がいっぱいなのよ」
あなたには荷が重いと言わんばかりに、古株の芸妓がユンの酒を注いでいた芸妓に
料理を運ぶよう指示して、代わりに自分が隣へ座った。
ここはユンの持つ遊廓の一つだ。
昔と変わらない瞳をした芸妓がふふ、と笑んでユンの名を呼ぶ。
「忘れ草はお元気ですか?」
「葛花・・・じゃなかった、今は帰蝶だっけ」
「えぇ。懐かしい名をよくお覚えで」
六年前、七種楼からこちらへと身を移させた芸妓だ。
切れ長の瞳は意志が強そうだが、その黒はすべてを飲み込むほど深い。
「懸命に生きているよ。僕の描いた通りに」
そして、八重桜の姫も。
腹の底から何かがこみあげてくる。
名前の付けられない感情を笑みで隠して、ユンは満月よりもさらに遠くをみつめる。
定期的に送られてくる手紙には人間らしい葛藤とユンへの想いが垣間見え、
そして彼女が僕の意志を継いだと思い込んで生きていることがわかる。
むかしむかし、本当に幼い頃。
身体以外は何一つ年相応ではなかった自分がした気まぐれ。
とある社交界できいた噂に興味を持って、その噂の中心である
まるで人形のように美しい少女に手を回して、自分の住む夜の世界へと引き入れた。
世界が美しいものだけでできていると信じていた少女を汚した。
すべては英士のために。
英士を実の両親のもとに戻したのも、自分の父がやる遊廓が
英士の家あたりで美しい子供を探し、買っていると耳にしたからだ。
そこで買う側の商人に金を渡して、英士を桜という遊女のもとへ引き渡した。
桜が狂ってきているとは知っていた。あの遊廓もユンのものだった。
英士に絶望をみせてやりたかったのだ。
その後にやってくるであろう幸福を大きく感じられるように。
「本当に優秀な娘だよ」
ユンは薄らと笑みを浮かべる。
少女を七種楼に入れればユンに付くことはわかっていた。
出自からすればありえないはずなのに、彼女は思いのほか芸達者で
本当にユンを楽しませた。
英士への罪悪感を少しでも薄れさせようと、戯れに拾った娘は
本物の忘れ草になってしまった。
だが毎日語る英士のこと、ユンの英士への想い。
芸妓には絶対向けられないまっすぐな感情を表し伝えることで
少女は完璧といっていいほどユンに傾倒した。
少女はユンを欲し、ユンの生きる現世を欲した。
そして彼女の感情をまるごと利用しようとしていた僕に
相応しい人間へと成長していった。
ただ、少女が客を殺したことだけが予想外だった。
身売りの話などいくらでも揉み消してきた。
まさか彼女がきいてしまうなんて思ってもいなかった。
まさか彼女が客を殺すなんて考えもしなかった。
だが少し考えれば合点がいくのだ。
英士の好きな彼岸花を毎日みせ、その花が人を殺せると
ユンは少女に語ったのだから。
ユンが浮かれてしまうほど語る英士の話をすべて覚えていたのだろう。
ユンがそのときだけ苦しく、愛おしく語るのだから。
鈴蘭の根の毒や簪の鋭さなどもユン自身が身を持って示したのだが
それらではなく彼岸花を選んだのは、ユンの話のせいだろう。
月が綺麗な夜だった。
どう七種楼から連れ出そうか悩んでいた頃だから、ちょうどよかった。
ユンは少女を「しでのたをさ」へと仕立て上げた。
そして少女がさらにユンを求め、幸せを感じ始めた頃、
・・・一気に突き落とした。
姿を消したユンはどこか遠くにいると思っているのだろう。
国に帰ったと思っているのかもしれない。
まさか同じ帝都内の遊郭を回ってるとは思わないだろう。
「面白いくらい、この世は簡単だ」
しでのたをさを継ぎ、英士を助けるという枷をはめた少女。
きっと彼女はユンがいなくなった喪失感を埋めるために英士を利用する。
そして、ユンの代わりになろうとするだろう。
ユンが英士と望む行動すべてを彼女がとることなど、わかりきっていた。
まだ迎えにいけない代わりに、ユンが彼女を与えたのだとは思いもせずに。
だが時はもう満ちようとしている。
来春に控えた従兄弟の成人。
だがもう英士は兵士にはなれない。
客と寝たことがなくとも、遊廓に長くいただけでもう彼は男とみなされず、
梅毒だと言えばすぐ逃れられる。
そして潤慶も同様に充分な金を手に入れ、女を与えれば兵士にはされない。
次に会ったとき、二人が別れる理由はない。
「・・・怖い方」
「そんな今更なこと。さぁどうしようか帰蝶」
「・・・・・・?」
「上手くいきすぎてね、僕はつまらない」
「面白いのではなかったのですか」
「面白いけどつまらない。あっけなさすぎて」
捨てさせた過去を彼女はまだ清算しきれていない。
それだけがユンの退屈を変えさせる唯一の種であった。
なのに、いまだにぎりぎりのところで粘られて、あまり大事にならずにいる。
つまらない。
「この世に偶然なんてない、すべてが必然だったって知るときがきたら」
「・・・どう思うでしょうか」
「ね。聡明な人形だから気づいているだろうけど」
なにもかもが、ユンの意のままだと知ったとき。
ユンが現れ英士を取り返してしまったとき。
枷も使命もなくした彼女は、一体どうなるのだろうか。
人形でいいと、冥土へ向かう鳥になった少女はどう動くのか。
・・・正直、いい加減ユンの洗脳がとけてくれないと面白くないのだ。
「僕もそろそろ動き出す頃かな」
英士を身請けし、幸せの絶頂に二人を浸らせたところに迎えに行こう。
真実を知った人間は、この汚いものだらけの中に咲く美しい花たちは、
僕をどう楽しませてくれるだろうか。
想像するだけで、ぞくぞくして。
ユンは酒を煽って、かつて聞いた忘れ草の唄を思い浮かべた。
11.04.28