各々が複雑な立場にあって。
一人は先が見えなくて、一人は過去を捨てた。
捨てられるような過去、捨てられない過去。
振り返ってみれば点のようにしか思い返せない。
点駆けた過去
規制されている世界の中でも、やれることは無限だ。
なんて、一体誰が言ったのだろう。
未来は無限だなんて、誰が言ったのだろう。
結局はある状況の中で限られた選択肢を選ぶしかないのだ。
「ふぁ・・・・」
一仕事終え、客を見送るとは大きくあくびをした。
好きなときに起きて、食べて。
客は先に連絡が来るので、時間通りに刺青を彫って。
一日多くて三人くらい。
自由気ままな今の生活が、はとても気にいっていた。
気晴らしに散歩でもしようかな・・・と思ったが、やけに
眠くなったのでやめておこう。
今ならたったままでも眠れそうだ。
は本能の赴くままに、眠気に誘われそのまま寝転んだ。
今日はおひさまが元気らしく、ポカポカととても温かい。
あぁ、もう少しで寝れる・・・。
そう思ったとき、家を囲っている緑がガサ、と音を出して揺れた。
「・・・・・・あれ、寝てるのか」
その声に聞き覚えがあった。というか、聞きなれた声。
申し訳なさそうに呟いた主は軽く頬をかいて
どうしようか悩んでいた。
こんな時間に、タイミングに来るのは限られた人達だ。
は薄れ行く意識を感じつつも、頭を働かせる。
英士は大体、朝か稽古の合間に来るし、こんな控えめな精神を持ってはいない。
結人も同様だ。彼らはの安眠を必ずと言っていいほど妨害する。
ということは、残されたのはただ一人。
いや、初めから声でわかったのだけれど。
「・・・珍しいお客様だこと」
はむくりと起き上がり、眠そうに目を擦った。
擦ったときに出た涙と共に眠気もどこかに飛んだ。
「悪ぃ、起こしたか?」
「ううん、別にいいよ。珍しい客だからね」
嫌味でもなくがそういうと、その来客者は家に上がった。
ツリ目がちな目を持つ黒髪の少年だった。
「久しぶりだな、。これ差し入れ」
「わぉ、おいしそう。ありがとね」
「結構うまいぜ、それ。一応、俺のおすすめ」
「それは楽しみだわ。はい一馬、お茶」
来客者、一馬は小さく礼を言って茶を受け取る。
呉服屋の一人息子である一馬は、たまにしか遊びにこられない。
しかし時間をやりくりして会いに来てくれることが、にはとても嬉しかった。
「あれ、今日は英士来てねぇの?」
「うん。昨日座敷だったって乙姐さんが言ってたから」
「・・・座敷、か」
「遅くからだったらしくてかなり眠たがってたって」
「英士らしいな」
一馬と英士と結人は、とても仲の良い親友同士。
一番常識があると思われる一馬は、苦笑した。
「でね、着替えて化粧落としたかと思ったら倒れたんだって」
「倒れた?」
「あ、大丈夫。心配していったら寝てたらしいよ」
「・・・・・・英士」
「乙姐さん呆れてたよ、全部やり終えてから倒れるなんて・・・って」
二人でクスクスと笑った。
こうやって一馬と話すのは、結構久しぶりのことだった。
実は、一馬はの弟だった。
あくまで、“だった”という過去形の話になる。
色々事情があって別々に暮らしているが、一馬はよく遊びにきた。
ちなみに、に親はいないことになっている。
勘当とはまた少し違う。
「そういえば、家の方は大丈夫なの?」
「あぁ、平気。結人がどうとか言って抜け出してきた」
「平気じゃないよ、それ」
「いいんだって。こっちの方が、大事だし」
少し頬を赤らめた一馬に、は微笑んだ。
可愛らしいなぁ、と思う。しかし年頃の少年にそんなことは言えない。
言ったら言ったで、とても嬉しい反応をしてくれること間違い無しだ。
お茶を一口啜って、は息を吐いた。
何も無いこの家では、一緒にお茶を飲むことくらいしか、することが無い。
せっかく遊びに来てくれてるのに、何だか年寄り臭いなぁと思う。
「いい天気だな、今日」
「どうしたの、年寄り臭いよ」
「だ、だって本当だろ。この家は空がよく見えるし」
確かにこの家は通りに面してない分、自由に外が見れる。
目に映る青空が、とてもまぶしい。
にとってはそれが癒しであり、戒めでもある。
「・・・暇なんでしょう、一馬」
「・・・・・・正解」
別にのんびりしていることが嫌いなわけでもないのに。
花札でもやろうか、と言おうとしたが
一馬が強すぎてつまらないのでやめておいた。
それを一馬も察したようで、諦めたらしい。
「でも本来忙しいなのに、わざわざよく来るね」
「だってやっぱ、その・・・」
心配だから。
そう続く言葉はなかなか一馬の口から出てこない。
でもにはわかっている。
それで充分だと思うのは幸せな証拠だろうか。
・・・幸せになる権利なんて、ないはずなのに。
「親たちに内緒って大変でしょう?」
「あぁ、すっげー大変。でも・・・平気」
英士に比べたら、な・・・。
そう表情に出ていた。視線も芸者小屋を指していた。
一馬には、本当に嫌な思いをさせてしまっていると
は心から思う。
と違って、金も地位もある程度持つ一馬。
それが逆に一馬の言動を制限させるのだ。
失うものがある一馬に、危ない橋を渡らせたくなかった。
渡らせるわけには、いかなかった。
ボーン、ボーン。
小さく、時計が鳴った。
はその音にはっとして時間を確かめた。
「あ、もうお客様来るよ。別にいても良いんだけど、いる?」
「俺としては英士に会って行きたいんだけど・・・」
「次のお客、ちょっと恐い人だけど平気?」
「・・・・・・結人のとこ行ってくる」
くるりと方向を変えて、一馬は外に出た。
はごめんね、と笑った。
たぶんすぐ終わるから、と付け足す。
照れ屋な一馬は芸者置屋なんて行けない。
しかし自分がそうやってウジウジしている間にも、英士は
客の相手をしていると思うと、情けなくなる。
娼妓ではないとわかっているけれど、嫌だった。
きっと英士に聞かれたら・・・・デコピンされて、
「莫迦?」といわれるだろう。
英士の過去のことなど、一馬は知らない。
どのような経緯で英士があそこにいるのかも。
俺は、結局みんなのことを全然知らないんだ。
せめて何かしたいのに。探しているのに。
もがくほど、何も出来ないことを思い知らされるだけで。
そんな一馬の心境が理解できるは、苦笑するしかなかった。
いいんだよ、一馬。君が君でいるだけで。
「二時間くらいしたら、またくるな」
緑に溶けて、現実の世界に返っていく一馬を
は目を細めてみていた。
先も見えない。
過去はあの日だけで、あとは全て捨てた。
一馬のように今の自分に続く線として残っている過去はない。
が残したのは、点々としたものだけ。
願うのは。
いつか、
いつか、
全てが過去になること。
今夜は嫌そうな顔をした英士を巻き込んで、宴だろう。
それこそ点のように、いい思い出だけ残してほしい。
点にしか残らないように、厭なことが過ぎ去って欲しい。
はゆっくりと目を閉じた。
05.8.26