誰も本当のことを知らない。
じゃあ私は何者なのだろう。
ただ、信じて欲しい。全てが終わるときまで。
信じてくれる人がいなくなったら、私は私ではなくなるから。
偽りの真実
ダンッ、と机を強く叩いた音が響く。
通りに面した店の裏側にある母屋で
もう昼になるだろう刻にその音は一層大きく感じた。
「ふざけないで!」
吐き出すように叫んだのはで、机を挟んで向かい側には
疎遠となっていた一馬の両親が二人並んで座っていた。
いつもはを止める一馬は不在で、彼女の怒りは収まらない。
「落ち着いて考えてみてください、嫁入り前の女が一人で暮らす」
「ありえないことでしょう?」
父の言葉を母が受け継ぎ、貼り付けた笑みが仮面のようで
気味悪い上に吐き気がした。
そのような状況にさせたのは誰だというの。
自分たちの侵した罪を謗らぬ顔で黙り、今になって利用しようとする。
込み上げる憎悪を必死で宥める。
こんなことをしている場合ではないというのに。
時間がないのだ。この探りあいの一瞬ですら惜しい。
「・・・どうして、今更そのようなことを?」
義父さん、義母さん、とわざとらしく問う。
吐き気がするが、そんなもの構っていられない。
の鋭い眼差しに臆したのか、二人の視線が泳ぐ。
いい歳した大人が、こんな小娘に怯むのか。
あぁ、なんてくだらない。なんてばかげた奴らだ。
息子である一馬が可哀相に思えてくる。
しかし彼はああみえて強い人間だ。
今この場に彼がいないのが幸いのようで不幸に思う。
愛想も人柄も良い呉服屋の夫婦。
その仮面の下で力に屈し、裏の世界と繋がっていることを誰も知らない。
こんな両親の姿を見たら、彼はどう思うだろうか。
視線で答えを促すと、父が動揺を隠すように咳払いをした。
彼らの目線がを捉えることは無い。
「いや、常々思っていたのです。それにもう・・・あなたも、年頃だ」
真相が読み取れた。
目の前に出されている熱い茶を顔面にかけてやりたい。
砕いた茶碗を体中に降らしてやりたい。
「だから家に戻り、見合いでもしろと?」
何があったかは考えずともすぐにわかる。
溜め息などはでないが、苛立ちばかりが募った。
自分が正しいと思うなら、もっと堂々としていればいい。
遠まわしに、探るようにいう意味がどこにあるという。
「こんな処に隠れているのは勿体無いと、あちらも申してますし」
あちら。
あえて名前を出さないのが、の逆鱗に触れる。
褒美を与える、といったところだろうか。
「身内の恥に早めに手を打つべきだ、と」
はんっ、とは鼻で嘲笑った。
そのような柵から逃れる為にここにいるというのに
所詮変わっていないということか。莫迦は死ぬまで変わらない。
自身に非があると認めないほど、愚かなことはない。
捨てた奴が今更何を叫んだとしても、心に響くはずもなかった。
「・・・話はわかりました」
声を落ち着けていうと、二人の表情が明るくなった。
自分たちは解放されたかのような表情が気に食わなかった。
「私は何を言われようと戻りません。一生です。そうお伝えください」
自分の勝手でいちいち干渉されては適わない。
すっと立ち上がる。
父が深く息を吐いた。
襖の向こうに、多数の人の気配がした。
「頼まれてしまっているんですよ」
穏便にいきたいのですが、と仮面が呟く。
面倒なことになった。
あぁ、どうすればいいのだろう。ただ平穏に暮らしたいだけなのに。
あちらのことだ、無理強いをしてまでつれてこいとは言わない。
それどころか傷一つつけたら、命が危ういくらいだろう。
だとしても、は紛れもなく女なのだ。
身を守れるものなど何も無い。こちらとて穏便にと願うのに。
「!」
緊迫した雰囲気を切り裂くように声が響く。
二人の顔が強張った。
窓から顔を出した一馬が、訝しげに両親を見る。
片手を、に差し出して。
「玄関も閉まって、裏口には変な男たち。どういうことだよ?」
信じたくない。嘘だと言ってくれ。
心の声が聞こえてくるようだった。
きっと一馬はもとより全てを知っていたのだろう。
真実を受け入れるのはとても辛いことだ。
「行くぞ!」
一馬の声と共には窓から飛び降りた。
地につくまで一馬が支えてくれ、はできるだけ速く走った。
後ろで舌打ちが聞こえた。
二人が何か怪しいことしているのは知ってた。
信じたくなかったんだ。眼を背けていた。
でも、に手を出すのを見過ごすことは出来なかった。
走りながら途切れ途切れに聞こえる一馬の声は
春の温かい日差しのようだった。
「は俺の姉で、二人は両親・・・だよ、な?」
一馬が縋るように聞いてきた真実に
は心に酷い痛みを感じながらも首を縦に振った。
「そうだよ」
一瞬甘美に響いたその言葉は、の心に酷い罪悪感だけを残した。
英士。想うだけで、甘い痛みと這い上がるような力が心を満たす。
私はいくらでも汚れても良い。彼が純粋なままならば。
ごめんね一馬、私は汚れきっているの。
彼を助ける為なら、何だって我慢するから。
身内の恥と呼ばれようが、どれだけ人に裏切られようが。
私は進む。あの人との約束を守るため。光を目指して。
真実はいくらでも偽っていこう。
酷い罪悪感にこの胸が押しつぶされたとしても。
05.12.10