傍から見たら、私のやっていることは

   考えられないような、おかしいことなのだろう。

   自分自身さえ満足に生きられない世に、人の事を想う。

   あの日から早数年、振り返ってみるとめちゃくちゃな道が見えた。












     振り返った足跡










 


   先日、手紙がきてからの仕事の量は増えた。

   英士とはなかなかゆっくりと会うことは出来なかったし、

   客もあまり選ばないようにしていた。

   金持ちの女性客を主としていたが、今は男性客も多く取るようにした。

   どんな人だって構わなかった。

   
   今日も目の前にいるのは、若い男性の客。

   異国の母を持つ彼の瞳はとても綺麗だった。

   もうすぐ国へ帰るので土産にと、背中に彫り物をしているところだ。

   

   スパーン!と何の前触れも無く、障子が開いた。

   え、と二人は顔を上げる。



   「、ちょっと用事が、」



   当人である英士は、一瞬固まったように動きを止め

   微笑を浮かべた。

   久しぶりに見た英士の顔は懐かしく感じたはずだったのに。

   その笑みは、逆に恐かった。眼が笑っていない。




   「・・・失礼。仕事中、か。後にするよ」




   上半身裸の男客は背中に彫り物をするため、上は勿論だが

   腰の辺りまで服を脱いでもらっている。

   布団の上に寝てもらって、作業する姿に何か問題でもあるのだろうか。


   失礼、ともう一度侘び、英士は障子を閉めて出て行った。

   今度は静かに閉められた障子の音が、耳に残った。
 
   英士の微笑を作る前の、一瞬だけど悲しそうな表情。

   瞼に張り付いた。座敷のことが甦る。


   もうすぐ終わる作業も、身が入らなかった。













   男客が去って、一刻程がたったときだった。

   再びやってきた英士は、寝起きのように機嫌が悪かった。



   「・・・男の客もとるようになったんだ」

   「え・・・まぁ、ね」

   「何で?今まで女ばかりだったのに」

   「男の方が需要が多いから、」



   今は、とにかく、客を出来るだけ多く取りたい。

   だから、しょうがなく。

 
   英士は視線を合わせようとしない。

   湯飲みを握り締めて、地面を見ていた。




   「俺と逢わないくらい仕事を入れたくて?」

   


   吐き出すように言われた声が、今にも消えそうだった。

   頭を強く叩かれた気分。気が遠くなる。


   何を、言ってるの。

   英士のために。もう時間が無いから、しょうがなく。
 
   あと少しなの。私に残されたのは。

   わかってるはずなのに、何でそんなこと言うの。


   裏切られたような気分だった。

   

   「・・・な、なに、英士、そんなわけ、」

   「言ってくれれば、俺だって、・・・こんな回りくどいことしなくても」



   頭が白くなる。

   目の前にいる英士の、傷付いた顔から逸らせない。

   縋りつくような表情。絞るような声。



   いなくならないで。

   
      
   独りぼっちでここにきた、幼い英士と重なった。

   泣かない代わりに歪められる顔。それは涙より強く心を語って。

   握り締めた湯飲みは割れそうなほど、強く力が込められている。



   「英士!本気で言ってるの?」



   強い声が出た。叫ぶようだった。

   やめて。これ以上続けないで。

   壊れそうだった。何もかもが。厭だ。



  
   「・・・俺が、どんなキモチだか、わからないだろうね」


   

   一番傍にいて欲しい人がいなくて。

   世界で独りになった気分だった。

   失う恐さは誰よりも知ってる。絶望。

   混迷の闇の中、縋る光を失えば、俺はもう動けない。

   
   のいないこの家を訪ねたとき、血の気が引いた。

   もうここからいなくなる、そんな気さえした。  

   夜中に覗いたの寝顔に安堵の息を漏らした。

   

   自分がいない間、逢っていたのが男だと思うと、胸が痛んだ。

  
         
   いや、血が逆流するほど混乱した。

   もう自分は要らない?

   女でもない、男にもなりきれない自分が、酷く滑稽に見えた。

   光が消えてしまいそうで。

   なんで俺の前から消えようとするの。捨てるの。


   強すぎた力に、湯飲みが音を立てて割れた。

   手から血があふれ出す。深くは無いが、痛みに現実味がなかった。



   「英士、お願い、そんなこといわないで・・・っ」




   の声にはっとする。

   涙の混じった声だった。駆け寄る。

   下唇を切れるほど強く噛んで、は俯いていた。

   泣けば楽になるはずなのに、決して泣かない。

   そうは自身に誓っていたから。


   もどかしかった。


   自分より、強靭だと思っていたの方が脆く見えた。

   震える細い腕が、英士にしがみつく。

   いつもなら真っ先に英士の異変に気付くはずなのに、見えていない。

   それがどういうことなのかは、すぐにわかる。



   「・・・ごめん、嫉妬した。もう大丈夫だから、」



   そんな表情しないで。

   君を一人にはしない。いつまでも一緒にいたい。


   珍しく混乱しているに、その動揺を振り払うように

   英士はゆっくりと頭を撫でた。

   血はもう殆ど出てなかった。袖で隠す。


   理由はわからないけど、多分自分のせいだ。

   何一つ零さずに、細い腕で抱え込むの辛さを

   取り除いてあげたい。

   依存するように俺たちは互いの体温を感じていた。
 

 
   「甘いもの食べよう。きっと落ち着く」  

   「・・・いい考え。私、大判焼きが食べたい」   


   
   私は混乱していた。   

   時間が無いと責め立て、自分を追い込んでいた。

   そして、周りが全く見えてなかった。
     
 
   上手に生きているつもりだけれど、殆ど進んでいない。
 
   後ろを見ると、くねくねと曲がった足跡が残っている。

   未熟な私たちは幸せを掴み取ろうと、必死にもがくだけだ。

   悲しみを二人でいる時間で誤魔化しながら。

   
   









05.12.26