彼女の行為はしばらく続いた。
飢えたように血を舐め、英士の傷をゆっくりと撫でた。
あのときは、客が入ったので他の娼妓が呼びに来て
一応商品である英士の傷を見て助けてくれた。
そのときだけ、は。
それから彼女は壊れていった。
そんな彼女をみて、他の娼妓たちは英士を同情し、
後に遠ざけるようになった。
遠巻きに見られるだけで、助けられはしないのだ。
悔しい。自分は何故こんな場にいるのだろう。
狂った愛情を向けられて、俺は人ではなくなるのだろうか。
客が多くなっていった芸者置屋だったが
英士は彼女の意見で彼女以外の座敷に出ることもできず
彼女の傍を離れることも出来なかった。
崩れていく理性。人の間に居すぎて、彼女は人間ではなくなった。
英士が客に触られるたび、その後に彼女は英士の身体を
必要に磨き、化粧をしては一晩中うつろな翡翠の瞳で眺めていた。
恐かった。
すごく、恐かったけれど、決して逃げることなどできないのだ。
まだ子供の自分はこの人がいなくなったら、客を取らされるようになる。
現に、自分と変わらない年齢の子が、稚児として客に身請けされていたのを見た。
自分も、あんな気持ち悪い男たちの稚児にされるのだろうか。
そう思い、英士は黙ってことをすぎるのを待つしかなかった。
傷つけられることは痛かったが、彼女はそのあとに丹念に薬を塗ってくれた。
「桜のやつ、死んだわ」
そんなある日の事だった。
化粧道具の買いだしに行っていた英士が帰ってくると
以前助けてくれた娼妓が、一枚の紙切れを持って出迎えてくれた。
ここにきてから、いろんなことがありすぎる。
まだ、たったの一年しか経ってないのに。
「え・・・?」
「あんたのついてた娼妓が死んだのよ」
「死ん、だ」
「そうよ。よかったわね、解放されたじゃない」
みせられた写真は、黒ばかりで。
溜め息交じりで連れて行かれた場所は、異臭に満ちていた。
壁も床も真っ赤に染まり、彼女は人の形をしていただろうか。
直視してしまったあとすぐに逸らし、それからもう一度
なんてことは恐くてできなかった。
何も映さない翡翠の瞳。血で染まった黒髪。
衰え始めたと陰口を叩かれていた、白い肌。
すべてから生気を感じることは出来ず、英士は嗚咽を漏らした。
そこには、死が満ち過ぎていた。
死因は客とのいざこざだとか色々な話がとびかっていたけれど
こっそり聞いた真実は、あっけないものだった。
狂った彼女は、自殺した。
朽ちていく身体に耐えられなかった。そして、血が見たかった。
ただ、それだけのことだった。
なのに、一番近い人の死は
英士の心ににとても大きく深い傷をつけた。
死んだはずなのに、毎晩夢に出てくる。
いや、死んだからこそ夢に出てきた。
許さない。こんな綺麗な肌。私だって黒い瞳が欲しかったのよ。
ごめんね、と涙を流しながら彼女はいつも薬を塗っていた。
彼女は本当にただ狂っていただけだったのか?
・・・狂った中に、本当の愛情があったんだ。
俺が殺したの?俺は、彼女を救えたの?
・・・あぁ、そうだ。自分だけが彼女の支えだったんだ。
毎日自問自答で放心状態になった英士は
芸者置屋を追い出された。
しかし、その場に居た客が違う店を紹介してくれて
現在居る“夜桜蝶屋”に英士は来た。
「英士っていうんだ」
そこで出会った人たちは、前の店とあまり変わらなかった。
やらされることも同じ。
ただ、狂喜に満ちた目が自分に向けられていなかった。
それだけで安堵できた。
「あ、乙姐!こちら新人さん?」
「そうよ。英士っていうの。八重姫の英士」
「男の子だね。よろしく、英士くん」
そこで出会った、裏に住む少女。
それが、だった。
英士の世話を焼いてくれた乙姐さんととても仲がよく、
店にもよく遊びに来た。
笑顔が何処か、潤慶に似ている感じがした。
の隣は安心できて、温かかった。
全てを包み込むような温かさではなく、同じ傷を持った
仲間のような居心地だった。
「私が君を、たすけてあげるから」
絶対に。だから心配しないで。
三度目の来店の時に、は英士にそういった。
理由は答えなかった。
ただ、俺は苛立って当り散らした。
「っ俺は、あの人をころしたんだ、」
だから、たすけてもらえるなんて
幸せになるなんて、いけないんだ。
混迷の中彷徨って生き続けろと、彼女は夢で言ったから。
俺に出来る罪滅ぼしはそれくらいだから。
「ひとりは厭だ、けど、おれは、」
娼妓の、ましてや狂った彼女の自殺に線香をあげるような
そんな立派な葬送はなかった。
あの後、彼女だった物がどうなったかさえ知らないんだ。
「・・・幸せになっちゃいけない人なんて、いない」
真っ暗だった。
暗闇の中に、死んだ彼女の存在だけが灯篭のように
か細く頼りない光として手元を照らしていた。
それが、消えかかっていた。
どうすればいいかわからない。潤慶だっていないんだ。
「世界中の人が英士に不幸になれって言ったとしても
私は、幸せにしてあげる」
歳の変わらないに幼子のように諭されたのが癪だったとか
そんなの頭になくて。
ただ、月に似た青白い光が、自分を照らしたのを感じた。
彼女の死を忘れるわけにはいかないけれど、俺は
せめての隣を歩いても恥じることの無いようにしたい。
血腥く、欲に満ちた世界でもいい。
の存在だけを確かに心に抱いてされいれば。
心の支えさえ、生きていてくれれば。
「俺も、と一緒に大人になりたい」
目を見開いたは、その瞳を微かに潤ませながら
大きく、頷いた。
初めて抱きしめた彼女の身体は、とても温かかった。
幸せにならなくてもいい、彼女が死なずに
ただ傍で一緒に時を過ごせれば。
彼女の死という闇は、あれから四年が経ったというのに
心の奥で燻っている。
遠い遠い、心の奥底で。
06.1.25