嘆けと月が言っているわけではないのに

   月を見るたび、なぜだか涙が止まらないのです。










 月 の 替 わ り に




  
   




   遊郭の中でも二番目くらいに上等な部屋の中には

   情緒ある月明かりがさしこんでこない。

   

   今宵は、朔の日だった。


     
   朔の夜に薄暗い灯の明かりで照らされる客の顔は、決まっていた。

   桜吹雪の舞う着物を羽織った妖艶な男。

   男は窓の桟に寄りかかり、夜風がその艶やかな黒髪を揺らしていた。

   片目を包帯で覆い、闇と共にやってくる。そして妖しげな笑みで
 
   闇が続くかぎり私を抱く。


   
   まるで妖しのような姿をつつむ桜の着物が似付かわしい。



   私はこの人の名を知っている。素性も。

   だから私は名乗られたことはないが勝手に呼ぶのだ。

  


   「あ、ああっ、たか、ン、っぎ・・・さまっ、」
  
   「・・・っ、」




   知らない人などではない。むしろよく知った・・・知りすぎた、深い仲だった。

   この手が幾度私を抱こうとも、あの頃のような幸せは

   得られないと思うと切なくなるほど、身が焦がれるほどの仲だった。
   

   ねぇ、高杉。あんたはさ、あたしをどう思ってる?




   戦争と共に攘夷から逃げた私を恨んでいるだろうか。


   幕府の奴らや天人に買われる私を揶喩しているだろうか。




   いっそ蔑んでほしい。

   ボロボロになるまで、

   完全な闇に堕ちるまで。


  

   同志だった。同じ夢を追い、同じ人を慕っていた。
  
   志分かつまでは、彼は自分の夢だった。

      

   花魁にまで登りつめたあたしをみて、

   こんな出世、先生がみたら嘆くだろう、と銀髪の男はいわなかった。

   誰も、あたしを突き放してはくれなかった。

   
   その代わりに、月が私を毎夜責める。
  
   その代わりに、月がいない夜に高杉が私を抱く。   





   「(ねぇ、高杉)」





   あなたは知っているのでしょう?

   私にとって朔の晩がどれだけこわいか。


   あなたは知っているのでしょう?

   私にとって高杉がどれほど大事で、欲しているか。



   夜と共に去っていくあなたを幾度も捕まえようとしたけれど、

   霞みゆく空を背にあなたは蝶のように軽やかに、本物の妖しのように鮮やかに、

   現実から消えていった。










   でも、今夜だけは違った。








   如月の宵に、空が白んでくる刻に、彼はまだ私の隣にいた。  

   朝焼けにその顔をさらして。

   もう高杉と呼ばなくてもいいのだろうか。もう、日の下であなたといれるのだろうか?




   「晋助だ。・・・呼べるか、杜若?」

   「えぇ・・・あなたがもう一度、私の名を呼ぶのなら。ねぇ、晋助」


 

   ねぇ、晋助。
 
   その声でもう一度私を醒まして。雪を溶かし、灼熱の憎しみを思い出させて。
  
   この汚れきった身体をきっとあなたはふさわしいと笑うから。






   「上出来だ、






   無駄な買い物はしない主義なんでな、と高杉は懐かしい笑みで言った。

   あの頃と寸分変わらぬ、意地の悪い笑みだった。


   朝日が、目に染みた。