大きくなる四肢に自分の重ねた歳月を感じるのに

   新たに踏み出した道さえも変わらなくみえる。

   からくり人形のように誰かに動かしてもらっているのだろうか
 
   私は一体なにを欲してこんなにも足掻いているのだろう。
   










      巻き戻る記憶














   一馬は自室の縁側で早々と流れていく雲を眺めていた。
    
   あの後、結局自分はにもう一度問うことができなかった。
   
   微笑に止められてしまった。 

   くり返そうと口を開いたが、訊くとが壊れてしまうような

   そんな気がして、一馬にはできなかった。
   
   後悔している。


   地方の叔母の家から帰ってきたといって、一馬が十の時に
  
   一緒に住み出した。両親ですら決して入ることが許されず、
 
   一馬が入ろうとするとその両親が止めるの部屋。  

   
   三年前、が自分の本当の姉ではなく、養女であると知って

   それを含めた目で彼女をみるようになってから増した違和感。
 
   先日の英士の身請けをやめさせた方法。

   今日来た、巽銀行の植野とかいう男。     
   
   巽銀行といったら、多くの財閥が利用し投資しているところであり、
 
   その重役とみえたあの男は、の客にはなりようがない人間だ。 
      

   疑問に思うところが多すぎる。       

   いや、知っているところなどほんの僅かなのだろう。
   
   一番近くにいたはずなのに。
   
   一馬と結人の二人だけだった中に、ひょいと現れて

   当然のように溶け込んだは、確かに楽しげだったのに。

   ある日、夜桜蝶屋に来た英士を手を繋いで一緒につれてきて

   仲間に入れて、親友になって・・・全部、確かに四人で共有した歳月が   
  
   あるはずなのに。

   俺は、何も知らなかったのだ。

   
   の微笑に過去を尋ねられず、かといって違う話題を振れるほど器用でもなくて

   一馬が苦しげに下唇を噛み締めていたとき。
 
   はふふ、と口だけで笑って言葉を紡いだ。






   「私はね、人生を賭けているの・・・」






   遠い、遠い約束よ。

   天よりも高遠くを見据えている瞳は、夢物語を唄う詩人のようだった。

 




   「英士を身請けできれば、私は自由になれる。しでのたをさにさえ、ならない」


  



   本当の自由を手に入れられるって、約束。
  
   冥土へ向かう鳥にさえ手に入れられない両翼が、私のものになるの。
   
   



   「賭けの相手はね、あとふた月をとても楽しみに・・・遥かなる高みで待っているわ」





   誰もが英士の行方を楽しみに、待ち望んでいるのよ。


   一馬の瞳を見据え、狂った笑みを浮かべた

   まるで、何かに憑かれているみたいだった。











   「一馬、入るぞ」








   


   声と同時に襖がスッと開いて、結人が入ってきた。
 
   

   「・・・結人、」

   「わかってる。調べたぜ」



   そういって、結人は一馬の隣にドカッと乱暴に座って、俯いた。


   いいにくそうに、自分のしていることが大切な人を傷つけると

   わかっている故の罪悪感に、飲まれそうな表情だった。   
   
   





   「あいつは・・・元、遊女だ」



    



   遊女。

   その言葉に、一馬は固まった。

    

      
   「幼少時に売られたあいつは、今の夜桜蝶屋の遊女たちの頂点にいた、
  
    伝説のように語られる『忘れ草』だったんだ。

    そのを身請けして店から出したのが、今の楼主だとよ」


   
 
   の元に届いた、橙の花のかんざし。

   すぐに覚えられるようにと、自分の名前の花を身に纏うあの店で
   あれは、が昔つけていたものだったのか。




   
   「なんで、楼主が・・・」





   結人はいいにくそうに、苦しげに言葉を続けた。







   「・・・・・・その楼主が、しでのたをさなんだと」





   
   
   一馬は耳を疑った。

   『しでのたをさ』という称号は、









   「あら、潤のことなら、あなたたちの方が知ってると思っていたわ」    





 


 
   わざとらしい、唄うような声。
 
   含まれているのはいつものように陽気で楽しげな声ではなく

   あからさまな、嫌味だった。




   「人のことコソコソ調べて。何か、わかったの」
 
   「あぁ・・・忘れ草」
   
   「懐かしい名。でも、結人は調べが足りなすぎるわ」

   


   ぐ、と結人は唇を噛んだ。

   図星だった。金、人脈、情報・・・いかなる手段を用いても
  
   についてその姿を完璧に掴むことは不可能だった。 
 
   彼女はそれを誰よりもよく理解しているようだった。


   あぁ、そうか。

   顔をしかめる結人とは裏腹に、一馬は妙に納得してしまった。
  
   の生業はそういうものであるのだ。

   今も昔も、たとえ決して表舞台にでることのない人でも、

   どの社会に属する人であっても、多くの人々に

   は関わりのある人物なのだろう。 

 


   「人のこと疑って、楽しいわけ」

   「じゃあ、教えてくれるのかよ」

   「いいえ」

   「・・・・・・・・・・・・・・・」



   
   三人とも、苦しかった。
 
   大切な、大好きな人をわざと傷つけなければいけないなんて。
  
   自分の手で守ってあげたいと思う人を、自らの手で壊すなんて。

   なによりもかけがえのない絆を疑うなんて。
 

   本当に、したくない。


   でも、同じくらい大切な人を守るため。

   なによりも必要と大切と思っている人に欺かれていたなんて

   知ったら、英士は壊れてしまうから。
 
   だったら、自分が傷付いたほうがいい。


   英士の心だけは、守りたい。

  
   男であることを捨て、化粧を施し艶をつくり、欲望にまみれた闇の中に
  
   ひとり身を投じる彼を。
   
   桜という遊女のように、現に絶望して己を捨ててしまいかねないから。
 
   知らない方が幸せだといっても、彼はきかないだろうから。

   偽物の光だったとしても、俺たちがしてやれるのはそれが本物だと

   彼に信じ込ませることくらいだから。

   より英士が大事なわけじゃない。
 
   でも、英士が壊れてしまうのは嫌なんだ。
        


   結人の気持ちもわかるため口を挟めなかった一馬が、ゆっくり

   をまっすぐ見据えて言った。
 




   「俺、が養女なのも知ってる。俺の親の上に誰かがいることも」





   は驚いた表情をしていた。

   俺に知られたくないことだったというのが見て取れる。

   どうして、と一馬は続ける。
   

 

   「どうして俺には何も言ってくれないんだ!信じてないのはお前の方だろ・・・っ」



    
   込み上げてくる感情に飲み込まれてしまいそうだ。

   どろどろとして纏わりついて気持ち悪い、自分の醜い部分。

   彼女の明るさに救われたのは自分で、見ないようにしてきたのも自分なのに。

   すべてを知らせないようにされていることに、何の疑問すら抱かなかったのは

   幼く愚かな自分自身であるというのに。




   視界が開けた瞬間、裏切られた気持ちだった。



   
   でも、本当は違うってわかっている。 




   英士のことも、のことも、大事だ。

   どちらかを助けるのにもう片方を犠牲にするなんて、おかしい。

   それに、俺にはできないんだ。

   結人とが騒いで、俺が巻き込まれて、英士が呆れて笑う。

   そんな風に流れて積み重ねてきた歳月の中で

   どんなことがあっても離れなかった日常は、誰か一人でも欠けたら、駄目だ。


   お互いの事をわかったつもりで、全く知らなかったわけだけれど

   そんなこと知るのは、今からでも遅くないって思えるから。

      



   「英士にが必要なのも、が英士を大切にしているのもわかってるから・・・」





   協力させてくれよ。

   一人で抱え込む必要が、どこにある。

   痛みなら分かち合った方がいいに決まっている。

   そう、なにより一馬と結人の感情の根底にあるのはただ一つ。





   「親友だと思っていたのは、俺たちだけだったのかよ・・・っ」





   そんな悲しいこと、いわないでくれ。
 

   はゆっくりと一度目を伏せて、二人の感情を受け止めた。

   揺れるのは視界ばかりではない。



   わかった、というのに気が遠くなった。



   もう人に話して楽になってもいいのかな、潤慶。

   あぁ、私は本当に人を汚れさせるばかりだ。  





   「英士は知らない話だから」





   絶対、いわないで。






   そういっては、遠く遠く空を見据えて、語り出した。








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